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| すぐに使えるヴェネツィア語講座 イタリアの諸言語における、ヴェネツィア方言の位置とは、というようなことをよく考える。考えたところでわかりゃしないんだけれど。 最近はまっているナポリの喜劇俳優・トトの「二人の警官」という映画は、警察官に変装した泥棒と、神父に変装した本物の警官がナチスドイツにコミカルに対抗するさまを描いている。そのなかに出てくる、蓮っ葉だけど気のいい娘がヴェネツィア方言を話していた。「トトの自転車レ-ス」の中の、少し間のぬけた悪魔もヴェネツィア方言を話す。テレビで放映していたエディ・マ-フィ主演の「ドリトル先生」では、鳩の話ことばがバリバリのヴェネツィア方言に吹き替えられていたっけ。 ここの方言は、単語のひとつひとつもさることながら、イントネ-ションがかなり変わっている。まあ、イタリア語なんて方言の寄せ集めなので、どれが変わっているかという議論は意味がないのだが。東京の下町育ちの友人に言わせれば、ヴェネツィア方言は、もろ茨城弁だそうだ。わたしにとっては、むしろ北海道のことばだ。「いや~、それはちょっとまずいっしょ~」なんていうフレ-ズを連想させるのだ。映画やテレビでヴェネツィア方言が使われると、なにかおっとりした雰囲気がでる気がする。 しかし、こんなおっとりした雰囲気に安心してると、とんでもないことになるので要注意だ。たとえば。 サンマルコ広場あたりのバ-ルには、高いのと安いのと2種類の値段を用意しておいて、よそ者には高い方の料金を払わせるところがある。外国人だけが法外に高いコ-ヒ-代を払わせられるのではない。ヴェネツィア以外からやってきたイタリア人も、損をする。よそ者かどうかをみわけるのは方言である。もちろん悪徳商店ばかりが軒をつらねているわけではないし、一見して黄色人種のわたしが、騙されないためにだけ方言を話すのも意味がない。 方言というのは不思議なもので、学ぼうとしなくても空気のように体に取り込まれてゆく。昼食後のコ-ヒ-はバールでマッキアート(泡立てたミルクののったエスプレッソ)と決めているわたしであるが、先日出張で訪れたロ-マのバールで、ついつい出てしまった。「ドゥエ・マッキアーティ(マッキア-トふたつ)」というべきだったのに、口からでたのは「ド・マチャイ!!」だったのだ。ローマのバ-ルのおじさんには意味が通じず、「どこの地方から来たのかね、この人は」というような顔までされてしまった。山形弁のダニエル・カ-ルさんも東京でそんな経験をしたかもしれないなぁ。 方言がまるでわからなかったころ、よく耳についたのが「チョ!」ということばだった。イタリア語で、「もちろんさ」とか「あったりまえ」の意味の「チェルト」もしくは「チェルタメンテ」ということばが、当地では「チョ!」になってしまうのである。 こう書いていると、とても横着な言語のように思えてくる。音節を少なくして、最少の言葉数で通じさせようとしているみたいだ。 大体、人称代名詞の「私」が「イオ」でなくて「ミ」である。「彼」が「ルイ」でなくて「ユ」、「彼女」が「レイ」でなくて「エア」。 「イガイガイガイ」とだれかが言っていたら、それは「やつらはにわとりの脚をひもでゆわえた」という意味である。滅多にこんな状況には出会わないだろうけれども。 何度聞いても、おかしくてつい笑ってしまうのが、「モイゲ~」である。「いい加減にしてよ」または「やめろよ」の意。若くてカワイイ日本人のおねえさんがヴェネツィアに来て、ゴンドラのにいちゃんや水上タクシ-のおじちゃんにしつこく言い寄られたら、ばしっと「モイゲ~!」と言うといい。ますます付きまとわれる可能性もありだけどね。
小池 弘美
2004年02月26日 |