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バスの中でイタリア人観察

 日本でOLだったころは、電車の中で本を読むのが習慣であったのだが、ここではまわりを気にせず本に没頭するのは相当な集中力がいる。日本語の本でも読んでいようものなら、見知らぬおじさんおばさんたちがページをちらちら盗み見しだす。「ちょっとみてごらんなさいよ。すごいわねぇ。こんな文字が読めるなんて。」と感心する人。中には身を乗り出してきて「縦に読むのか。横に書くことはできないのか」と聞いてくる人もいる。そんなわけで、最近では公共の乗り物の中で本を読むのがおっくうになり、自然と人間観察をしてしまうのであった。

 朝8時ごろ、街の中心サンマルコ広場やリアルト橋に向う水上バス乗り場は、通勤客で満員である。ただでさえ遅れ気味ののんびりした乗り物である。乗り損ねたら何分待たされるかわからない。いきおい乗客は是が非でも乗り込もうとする。こんなとき乗り込んでしまった人の中から聞こえてくるのが、「もう乗るなー。」「俺たちは瓶づめのいわしじゃないぞー。」乗りたい人たちからは「もっと奥につめろ。」「ちょっとー。仕事に遅れるじゃないのよー。」朝っぱらから、なんでこんなに元気なんだろう。しかし、「うーむ」と唸らせてくれるようなことにでくわすこともある。

 あれは夕方7時ごろ、陸上を走る普通のバス(同じヴェネチア市内でも島の方ではなくてイタリア本土の方を走る)の中だった。運転手はすごく感じが悪い。乗客が降り終わっていないのにドアを閉め、発進してしまった。降り損ねた乗客数人は、おろせおろせの大合唱。そのうちひとりのおじさんが、「公共の乗り物なのになんということであるか」とバス後部から運転手にむかって説教をしはじめた。やんやと拍手を送る者、「そうよそうよ」と同調するおばさん、「裁判所に訴えてやるからな」と便乗攻撃する若者。テレビの討論番組のようで、なかなかの見ごたえであった。

 こういう人たちゆえ、電車やバスの中でのケータイ電話は迷惑である、という感覚はあまりない。「携帯電話のご使用は、他のお客さまの迷惑になりますのでご遠慮ください」という張り紙など、もちろんない。イタリア人の友人(男)に聞いてみた。電車やバスの中の携帯電話、うるさくないの、と。彼は、「うるさいよ。でもね」といったあと、こう続けた。「例えば、だ。隣にすわった女のコが携帯で話しだしたら、なんとなくどんなコか見えてくるだろ。頭のキレそうな話し方だったり、はすっぱだったり。」なるほど。イタリア人が詮索好きだとは前から思っていたが、見知らぬ他人にも無関心ではいられないらしい。電車やバスの中で争いごとがあると、仲裁する人、加勢する人、それら全体を批評する人が現われるのもそのせいだったか。イタリア人のいる空間は、さながら劇場だ。本当に面白い。

小池 弘美
2001年xx月